わーびっくりした。はてダの編集画面が新しくなったんですね。といってもここを読んでくださってる方の大多数にとっては関係のない話ですけども。


さて、さっきお風呂につかりながら、ふと、私はアカニシくんのどういうところが好きなのかしら?っていう疑問が頭をよぎったのですけども。それで、思い立って、以前こっそりお伺いしたことのある「ジャニーズ鑑賞眼♪〜ミナミノシマのジャニーズ鑑賞レポート置き場〜(id:mina-minoshima)」さんに久々にアクセスしてみたら、あったあった。私のお気に入りの「Olympos」のレビューが(http://d.hatena.ne.jp/mina-minoshima/20100113/1263392235)。勝手に古い記事にトラバってすみません。この中でこのブロガーさんがアカニシ君を表しておっしゃった「魯山人の器に、泥の付いたジャガイモ」。かつて、これほど私の気持ちを的確に、かつ鮮やかに表現してくれた言葉があっただろうか。これが、私がアカニシ君を好きな理由、その1。

そして、1で書いた内容に反するように聞こえるかもしれないけど、OlymposはあくまでもLANDSのアルバムであって、タカスギナツはジナカニシではないということ。映画は監督のものであって自分は監督のビジョンを形にするための素材であるという自覚のもとに、ある程度自分の主張を封印して臨んだところ。本人も言ってるけど。もちろん起用の理由は彼の「魯山人の器に、泥の付いたジャガイモ」な様が小林さんの目に留まったからかもしれない(監督のインタビュー読む限り)。アカニシ君も小林さんに対する敬意、尊敬の念は十分持っていて、小林さんの作る音楽も楽しんだだろうとは思うんだけど、だからこそ、ジナカニシの主張はせず監督のビジョンに身を任せちゃう。そして、「自分」ではないからこそ、撮影から約1年の時間を置いて始まったプロモーション活動の初期では戸惑いや無意識の抵抗みたいなものが見えたし(徐々に調整されていったけど)、だからこそ日生でのソロライブでは自分の主張をはっきりと打ち出してきたんじゃないかな、なんて。妄想たくましくしすぎか(笑)。単純に甘いとか、深く考えてないとか、そういうところも大いにあるとは思いますが。

正直言うと、BANDAGEが終わった後のアカニシ君の方向性がどうなっちゃうのか、ちょっと心配はしてたんです。これ、前にも書いたかもしれないけど。もしかして小林さんから影響うけまくって偽ミスチルみたいになっちゃったりしたらどうしようかとか。ジナカニシと小林武史を混同して、ああなれる、ああなろうと思ってしまったらどうしようかと。だから日生のステージを見たときはほっとした。あの映画が好きとかLANDSが好きとか、アカニシ君のPVなんじゃないのというくらいにナツ君が美しいとか、そういうこととは関係なしに、ちゃんと「終わらせている」ことに安堵して、アカニシ君のそういうところが信頼できると思ったのでした。以上が、私がアカニシ君を好きな理由その2。

と、暑苦しく語ったところで、拍手レスです。

  • 5/26のsakuraさん。いやー中途半端なディクテーションで、お役にたてたようなたてなかったような。Hofman氏発言の完全版がリンク先の「気になる赤西仁」さんにありますので、ぜひそちらもご参考になさってください。といか、正直聞き間違いとかあったらどうしようと思っていたので、そんなことがなくてほっとしました^^;