けったいなアイドル

まず断ってしまいますが、深刻な話ではありません。ぼーっと思ったていうだけのこと。それを承知で読んでいただける方だけ読んでください。

数日前の朝日夕刊に掲載された直木賞作家の車谷長吉に関する記事中に、“初めて書いた小説が新人賞候補となって以来、思うように書くことができなくなってしまい、自信喪失して半ば自暴自棄になった彼が、世捨て人のように生きたいと、料理店の下働きをしながら全国を転々としているところに、処女作を読んでその才能を確信したある編集者が幾度も訪ねて行っては、はやく東京に戻って勝負しろと鬼の執念で説得し、結果、処女作から26年目にして車谷は『赤目四十八瀧心中未遂』で直木賞を受賞した”なんていうエピソードがありました。すべてがそうだとは言えませんが、とかく小説書きにはこういうところがあるもので、出版業界は同様のエピソードに事欠きません。その手の話を耳にするたびに、作品というものは、作家だけの力ではなく、編集者であったり作家を支えている周囲の人との二人三脚で生まれるんだよなぁと思うわけです。
もちろん、そうしたある意味の共犯関係というのは文学界に限って存在するわけではなく、スポーツにしろ、芸能にしろ、偉大な業績の裏には必ず、パフォーマー当人だけでなく、影で支える人間がいるものですよね。面白いことに、そこ(創造の現場)には、読者だとかファンといった人々は、不在であることが多いような気がします。じゃあ、読者やファンの関わりってどういうものなんでしょうね。反射鏡、または反響板みたいなものかな。うーん、まだまだ着地点は見えません。
何が言いたいのかというと、(まあ、レベルの違う話ではありますが)かつーんのみんなにも、そういう存在がいれば、あるいは今後そういう存在とめぐり合えるといいなぁということです。鬼の執念で、なーんて、実際そんなスタッフ、あの世界にどのくらいいるのかしらん。ス○ップのマネージャーさんなんかがそうなのかな。
蛇足ながら、同記事の終わりに、車屋の妻で詩人の高橋順子が「この人、ふっとどこかに消えてしまうのでは…」という不安に駆られる、とあったのですが、それ、その不安分かるなぁ、なーんて思う今日この頃なのです。
昨日に引き続きスランプ、というか、日本語が変な三十路でした。どうしたもんか。

追記>ゆーたち!は田中。司会だそうですね!ジュニアの番組というのはどうなったの?わからんことが多すぎる。お笑い芸人とは次課長のことか。ていうか、だったら次課長って書けば?と思うのだが。広島テレビ、フライングで怒られたのに500万円(札)。