あ、まずはアルバム無事予約できました!拍手で教えてくれた方ありがとう!


レスキュー最終回の感想も書いてないんですが、レスキューに関しては最終回のひとつ前で総評的なことを書いたのでまあいいかな?いいよね。ひとつ、このドラマで一番印象に残った(繰り返し使われた)テーマとして「自分の限界を知ること」っていうのがあったんですけど、ほんとに最近「限界を知ること」というか「前向きにあきらめる」ことの大切さというのをひしひしと感じています。「限界を知る」「前向きにあきらめる」というのは決して「のびしろがなくなる」ということと同意ではなく、そうすることでかえって伸びる能力というのもある。限界を知っているからこそ出来る努力もある。本当に仕事のできる人というのは、自分の能力の限界をよく分かっているもので、たとえば闇雲に不動産や株や事業に手を出したりしないし(笑)、役者なのに敢えて下手な歌を歌ってみたりもしない(もちろん全てのことに逆のパターンがありうる)。若気の至りという言葉があるとおり、若いときには自分に対して「全能感」みたいなのがあって無茶しちゃったりもするんだけど、大人になるということは、自分を知るということだよなぁと思います。ドラマの話に戻すと、大地と言うキャラクターは、若気の至りで不可能を力任せに可能にしようとつっぱしるタイプで、まあ最終回にようやく大人の階段つーかプロのレスキューのステップを一歩上ったわけですが、演じた中丸君とはそういう意味では真逆だったなあ、などと思った次第。


話はそれるけど、ベッキーの回(後日詳しく語りたい)で、ベッキーが「恋愛をするとそれで頭が一杯になってしまうから恋はしない」と語っていて、それもまた自分をよく知っている故であるし、逆に「恋愛をすることで力がもらえる」場合もあると思う。ベッキーのようなストイックさはバラエティ畑ならではのもので、特に創作や表現に携わる人には後者の場合が多いのでは。恋もしない人に恋の歌は歌えないだろうし、恋する演技はできないだろうし、人の胸を打つ作品を生み出すこともないだろうから。アイドルとなると立ち位置が複雑になってくるけど、どっちかというと、じたんには恋愛厨でいてほしいかな?


話はまたまた変わって結構昨日のたもすてカオスなメドレーが嫌いじゃないんですけど、なんでかしら?とずっと考えていて、狭い通路でのじたんが「やれやれ」といった風にカメラに目線を送っているせいであることに気づいた。リアフェサビで寄ってくるカメラに向かって目を見開いておどけてみせた、あの回もなぜか好きで好きで何度もリピったものです。さて、ずいぶん長くなったので今日はこのくらいでさらば。